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最高裁判所第三小法廷 平成2年(オ)576号 判決 1991年11月19日

上告人

田中康宏

右訴訟代理人弁護士

清井礼司

被上告人

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

石月昭二

右訴訟代理人

中野順夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人清井礼司の上告理由について

所論にかんがみ検討するのに、原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は、日本国有鉄道法に基づいて設立された鉄道事業等を営む公共企業体であったが、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道の改革に伴い、名称が変更され日本国有鉄道清算事業団となった。上告人は、被上告人に雇用された職員であり、昭和六〇年一一月当時は、日本国有鉄道の千葉鉄道管理局津田沼電車区運転検修係の職務に従事していた者であり、国鉄千葉動力車労働組合(以下「動労千葉」という。)津田沼支部の執行委員であった。

2  津田沼電車区は、千葉以西の総武緩行線及び千葉以東の緩行線の旅客列車の運行等の業務を所掌し、その内部機構は、電車区長の下に、列車乗務員の所属する本線運転部門、上告人の所属する検修部門等七部門からなっていた。また、同電車区の本線運転部門と検修部門とは、その業務内容を異にするものの、同電車区所属の旅客列車の運行について密接な関連性を有し、同電車区の年次有給休暇(以下「年次休暇」という。)の管理者は電車区長であり、年次休暇の請求に対する時季変更権の行使・不行使は電車区長が決定していたものであり、労働基準法三六条の適用に当たっては、同電車区は一つの事業場として扱われてきた。

3  動労千葉は、国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り合理化粉砕等を目標に掲げ、当初の予定を前日に繰り上げて昭和六〇年一一月二八日正午から翌二九日正午まで二四時間にわたり、津田沼支部及び千葉運転区支部(両支部はそれぞれ津田沼電車区及び千葉運転区を単位として組織されていた。)を拠点とし、千葉以西乗入れの旅客列車乗務員を対象とする指名ストライキを実施し、これにより右両日にわたり、総武快速線、同緩行線等で多数の旅客列車等が運休、遅延するなどの影響が生じた。

4  上告人は、同月二一日津田沼電車区長に対し、その有する年次休暇の日数の範囲内で、同月二八日の午後半日の年次休暇の請求をしていたが、同月二七日、動労千葉は、当初同月二九日に予定していたストライキを繰り上げて同月二八日正午から実施する旨を決定した。このことを上告人は組合内部の情報により知ると、来栖助役にただして年次休暇の請求が事実上承認されていることを確認しながら、右請求をそのまま維持した上、同月二八日午後は勤務しなかった。その間、上告人は、同日午前一一時五五分ころから動労千葉津田沼支部事務所わきで開かれた組合員の集会に参加し、同日午後四時過ぎころから同六時過ぎころまでの間に津田沼電車区構内で行われたスト決起集会では、本部執行委員片岡一博とともに組合員らの前に立ってシュプレヒコールの指揮をし、また、同日午後一時過ぎころ同電車区指導員詰所において、右片岡らとともに江沢助役に対し、当局側が当日のストライキ対策のため指導員を乗務させたことにつき大声で詰問、抗議するなどして、同助役の職務の執行を妨害し、右争議行為に積極的役割を果たした。

右事実によれば、上告人は、前記争議行為に参加しその所属する事業場である津田沼電車区の正常な業務の運営を阻害する目的をもって、たまたま先にした年次休暇の請求を当局側が事実上承認しているのを幸い、この請求を維持し、職場を離脱したものであって、右のような職場離脱は、労働基準法の適用される事業場において業務を運営するための正常な勤務体制が存在することを前提としてその枠内で休暇を認めるという年次有給休暇制度の趣旨に反するものというべく、本来の年次休暇権の行使とはいえないから、上告人の請求に係る時季指定日に年次休暇は成立しないというべきである。以上と同趣旨に出たものと認められる原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、所論引用の判例に違反するところもない。論旨は、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤庄市郎 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官可部恒雄)

上告人代理人清井礼司の上告理由

一 年次有給休暇と争議行為の関係について

1 原判決は、最高裁昭和四八年三月二日判決(以下三・二判決という)にいう「しかし、以上の見地は、当該労働者の所属する事業場においていわゆる一斉休暇闘争が行われた場合についてのみ妥当しうること」という判示を全く無視し、いわゆる(一斉)休暇闘争以外の場合にも年休利用自由の原則を否定して年次休暇権の成立しない場合を作り出したものであって、労基法三九条に関するいわゆる白石営林署・国鉄郡山工場事件についての右最高裁判決の外、一斉休暇闘争の意味と年次休暇権の成立しない理由について述べた北海道立夕張南高校事件の最高裁昭和六一年一二月一八日第一小法廷判決に明確に違背するものであって、破棄されなければならないものである。

2 上告人(原審原告)が所属組合(動労千葉)のストライキ計画とは関係なく午後半日の年次有給休暇を時季指定し年休管理者の承認を得ていたところ、組合のストライキが半日繰り上って実施されることとなり、その結果、上告人の指定した休暇の時季と組合のストライキの実施時が重なることとなった。そこで上告人は年休管理者に再度休暇承認を確認したうえで予定どおり半日の休暇に入り午後からの勤務にはつかなかった。ところが被上告人は、後日になって、上告人が「自己の所属する事業場」(これについては後記二で述べるとおり、別の事業場と解すべきである。)の争議行為に参加したとの事由をもって、事後的に右年次有給休暇を不承認として賃金カットし、かつ当日(半日)の勤務を欠いたことは組合の実施したストライキへの参加に該るとして、これを理由の一つとして上告人を公労法により解雇した(公労法解雇の効力については別途係争中)というのが本件事件の概要である。

3 上告人の右休暇請求(時季指定)がいわゆる年休闘争に該るものでないことは第一審・原審も認めるところであるが、原判決は「労働者が組合の休暇闘争指令等とは関係なしに、個人的に自己の発意によって年休を取得して自己の所属する事業場でなされる争議行為に参加しようとする場合についても、その争議行為が事業場における事業の正常な運営を阻害する程度の規模ないし態様でなされる場合には、年次有給休暇関係は成立しない」とし、「なおたとえ控訴人が動労千葉の指令・指示に基づいて前記年の請求をしたものではなく、また前記のとおり控訴人(上告人)が争議行為の実施日が決定される以前に年休を請求し、その後争議行為の実施時期が確定された日になって管理者に対し年休承認の有無を確認したことがあったとしても、これらをもって右認定を覆すには足りない」とした。この結論は、年休を請求する労働者の指定した時季が所属組合の争議行為の時と事後的に重なった場合には、たとえ年休管理者の年休承認があったとしてもそれを鵜呑みにすることなく、争議行為に参加するならば年休請求を撤回せよ、勤務につかないならば争議行為に参加するな、という新たな規範を設定するものであるが、これはいずれにしても組合の争議行為と労働者の休暇の利用に対する使用者の重大な干渉であり、誰を争議行為に参加させるかは組合の争議戦術と組合員に対する統制の関係の問題であり、組合の行動に参加するか否かは組合員の自由な意思決定と組合の統制の関係の問題であって、使用者側から組合員が組合の設定した戦術からはずれた争議=山猫ストを強制されたり、組合員の組合行動への参加を禁止されたりする理由は一切ないのである。

4 前述のとおり、原判決は前記三・二判決の「しかし、以上の見地は・・・」とした意味を全く理解せずに、最高裁昭和六一年一二月一八日判決で明確に否定されるに至った「休暇・争議行為非両立」説に依拠して、漫然と「労働者が年次有給休暇を争議行為に利用する目的で請求した場合には、法の趣旨とも相容れないものであるから、使用者に労働者の請求を拒否できるものと解される。既に年次有給休暇を与えることを使用者が承認した後においても、労働者がその日に行なわれた争議に参加した場合には、使用者はその日を年次有給休暇として取扱わなくても違法ではない」(昭和二七・七・二五基収三八二一号)とする三・二判決以前の行政解釈の立場に回帰してしまったものに他ならない。三・二判決は「以上の見地」として「一斉休暇闘争は…その実質は、年次有給休暇に名を借りた同盟罷業にほかならない。従って…本来の年次休暇権の行使ではない…から、これに対する使用者の時季変更権の行使もありえず…」としているが、右最高裁六一・一二・一八判決は更にこの点を明確にして、「けだし、右のような職場離脱は、たとえ年次休暇権行使の形式をとっていても、その目的とするところは、使用者の時季変更権を全面的あるいは部分的に無視することによって当該事業場の業務の正常な運営を阻害しようとするところにあるのであって、そこには、そもそも使用者の適法な時季変更権を行使によって事業の正常な運営の確保が可能であるという、年次有給休暇制度が成り立っているところの前提が欠けているからである」としている。三・二判決が年次有給休暇と争議行為の関係につき、年休利用自由の原則(他の事業場)とその例外(自己の所属事業場)という事業場による二分法ではなく、適法な時季変更権の行使を無視するという理由から一斉休暇闘争につき「本来の年次休暇権の行使ではない」として年休利用自由の原則には例外を認めていなかったことは、可部調査官や蓼沼謙一教授が三・二判決の評釈の中で明快に指摘していたことである。

そして、右最高裁六一・一二・一八判決が「休暇・争議行為非両立」説を明確に否定していることは道立夕張南高校事件の具体的な事実関係に即して見ればより一層明らかになる。六一・一二・一八判決は、使用者の時季変更権の行使一般ではなく、適法な時季変更権の無視を問題としているからである。

となれば、仮に組合の休暇指令に基づく年休請求であっても、それが適法な時季変更権の行使のあった場合にこれを無視するものでなければ、三・二判決の「以上の見地」が該当しないことになるし、そもそも年休請求(時季指定)に対して労基法三九条三項但書所定の事由がなければ時季変更権の行使を無視する・しないは問題とならず、更に年休管理者がその年休請求を承認(時季変更権不行使の明示的意思表示を)していた場合には、年次休暇権行使と争議行為との関係は、完全に年休利用自由の原則の領域の問題となる。そして、本件の如く組合指令とも関係なく、又、そもそも組合の実施する争議行為とは全く関係なく時季指定された年次休暇権の行使の場合には、それを「実質的には同盟罷業」と評価する余地は一切ないことになる。

5 原判決は第一審判決を引用して「自己の所属する事業場でなされる争議行為に参加する目的をもって、年次休暇届を提出して職場を離脱する行為は、すくなくともその争議行為が当該事業場における事業の正常な運営を阻害する程度の規模ないし態様でなされる場合には、その実質は年次休暇に名を藉りた同盟罷業にほかならない」として、三・二判決のいう「一斉休暇闘争」を「少なくともその争議行為が当該事業場における事業の正常な運営を阻害する程度の規模ないし態様でなされる場合」という要件に置き替え、恰も外形上は「休暇・争議行為非両立」説ではなく、三・二判決の立場であるかの如く装っている。

しかし、一斉休暇闘争をしてその実質は同盟罷業に外ならないといわしめているのは、前述のとおり使用者の適法な時季変更権を初めから無視するところにあるが、「初めから無視」と評価されるのは、それが組合の統制権に裏打ちされた休暇指令に基づく労働者の集団的・組織的行動として計画的に休暇届が提出されるからに他ならない。第一審判決はこの理を理解しようとせずに「争議行為に参加する目的をもって」から直ちに「使用者の時季変更権を初めから無視し」としてしまうのである。そして組合員が組合の指令指示に従うことを最終的に担保する組合の統制権に替わるものとして、「原告の右の行動、原告の動労千葉本部の役員歴、津田沼支部における役員の地位及び動労千葉の闘争方針」なるものを持ち出し、実際の現場においては労基法三九条三項の要件もなく適法な時季変更権の行使も法律上なしえない状況にあり、現実にはむしろ年休管理者は直前・直後も上告人の年休を承認していたにも拘らず、「…などを考慮すれば、原告はその当時電車区長が前記年休請求に対し時季変更権を行使したとしても、それに従う意思を有しなかったことは明らかである」として全く事実に反する無理な推論・上告人の内心的意思の決めつけをやってのけているのである。時季変更権の行使を無視するのであればわざわざ年休承認を確認するはずがない(確認しに行って不承認といわれたら不利益になることははっきりしている)、という社会的な経験則は誰の目にも明らかであるにも拘らず、である。そして上告人が休暇に入る直前に確認した時においてさえ管理者は年休を承認したにも拘らず、「時季変更権を行使したとしても」などという現実にあり得ない仮定を導入しているのである。これに対し原判決は、第一審判決をそのまま引用したうえで、端的に「休暇・争議行為非両立」論にその立場を素直に純化して、「個人的に自己の発意によって年休を取得して自己の所属する事業場でなされる争議行為に参加しようとする場合」と、年休の利用目的のレベルそのもので事を論じているのであり、三・二判決が明確に言い切る年休利用自由の原則に対してはっきりと例外を設定するのである。

しかし、三・二判決の「以上の見地」が該当するのは、年休の利用目的・利用結果による年休成立の否定ではなく、年休の集団的・組織的請求が使用者の適法な時季変更権の行使を無視するものであり、年休の取得それ自体、即ちその時季に就労しないこと自体が当該事業場の業務の正常な運営を阻害することを目的とした場合にのみ限定されるのである。

休暇闘争とは年次有給休暇を同時期にかつ集団的に行なうことによって、争議行為(同盟罷業)と同じ効果を期待するものであるが、結局、原判決はこの休暇闘争の概念を大巾に修正し、休暇闘争の核心である組合の統制権に裏打ちされた休暇指令を取り除き、労働者の休暇中の行動と争議行為の規模・態様を挿入することによって、「年次休暇に名を藉りた同盟罷業」という集団的労働関係上の概念を年次休暇の利用という個別的労働関係の中に持ち込もうとしたものであり、表現上は時季変更権の行使の無視だとか、実質は同盟罷業だといいながら、その実質は、「休暇・争議行為非両立」論によって立つ行政解釈の立場へと回帰したものに他ならない。

6 三・二判決の年次有給休暇と争議行為に関する判示は、以上のとおり、年休利用自由の原則に例外を認めたものではなく、「本来の年次休暇権の行使」か否かは、「労働者がその所属事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を離脱・放棄する」ものに該るか否かにより、それに該当しなければ年休は時季指定によって解除条件付で成立し、労働者のその使い方は年休利用自由の原則の領域の問題であることを明らかにしたものである。そして、他の事業場での争議行為への参加・支援は年休利用自由の原則の一例示にすぎないのであって、「他の事業場」の反対解釈から「自己の所属する事業場」における年休利用自由の原則に対する例外を導き出すことは許されないのである。

六一・一二・一八判決は「右の休暇闘争の態様が当該事業場の労働者の一部のみが参加する、割休闘争と称されるものの場合であっても、それが同様に当該事業場における業務の正常な運営の阻害を目的とするものであれば、同盟罷業となりうるのである」とするが、ここで「労働者の一部」を強いて極小化すれば「労働者の一人」ということを導き出すことは論理上不可能ではないが、それにしても、そこにはいまだ休暇闘争という前提は残っているのであり、そこには適法な時季変更権行使の無視を労働者をしてなさしめる組合の統制権・休暇指令が依然として存在せしめられているのであり、休暇中に争議行為に参加したり、応援したり、指導したり、という労働者の休暇の使い方ではなく、年休の取得それ自体が当該事業場の業務の正常な運営の阻害を目的にしたか否かが核心として存在しているのである。

右最高裁判決の事案に即して考えても、北教組の総評総一行動への三割動員参加指令が、適法な時季変更権の行使をも無視してとにかく職場を離脱・放棄したうえで総評統一行動に参加セヨ、という強い休暇指令であれば、労働者の指定時季における行動が自己の所属する事業場における行動ではなくしても休暇闘争となりうることを示しており、これは年休届を提出した労働者が指定時季の時間帯に自己の所属する事業場にいたのか否かを問うているのではなく、あくまで年休届を提出した労働者に対する組合の休暇指令の内容、適法な時季変更権を無視するか否かの程度を問題にしているのである。

労働組合とは名ばかりで組織の実質は活動家一人であり、その活動家の個人的な意思決定が即ち組合の意思決定となるような組織であれば、その活動家が使用者の適法な時季変更権の行使を予め無視して年休届を一人で提出し、一人で職場を離脱・放棄する場合には、原判決の言うのもあながち誤っているとは言えないかも知れないが、その場合でも当該活動家が自己の所属する事業場で何をしたかが、年次有給休暇権上の問題ではなく、年休を取得したこと自体が争議行為に該るかどうかであるにすぎないのであるが、上告人の所属する動労千葉はこのような組織ではないし、上告人も自ら組合の意思を決定できる立場にはいなかったものであることは一件記録上全く明らかである。又、原判決はあるいは当局の事後的不承認により上告人が結果として当局によって山猫ストを実施したことにされてしまったのをとらえて山猫ストを想定したのかも知れないが、列車乗務員の指名ストライキ戦術に対して、組合の統制を破って戦術対象外の検修部門での山猫ストを打つ程には上告人の組合内における立場は自由ではないことも一件記録上明らかである。

7 原判決は、争議行為の実施日が決定される以前に年休を請求(時季指定)していたとしても指定した時季に自己の所属する事業場における争議行為に参加すればそれは本来の年次休暇権の行使には該らない、とするが、これもこれ自体で三・二判決の明らかにした時季指定の効果についての判示に大きく違背することになる。即ち、三・二判決は「労働者がその有する休暇日数の範囲内で、具体的な休暇の始期と終期を特定して右の時季指定をしたときは、客観的に同条三項但書所定の事由が存在し、かつこれを理由として使用者が時季変更権の行使をしない限り、右の指定によって年次有給休暇が成立し、当該労働における就労義務が消滅する」「休暇の時季指定の効果は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件として発生する」としている。

原判決の立場でいえば、上告人の時季指定によって消滅した一一月二八日午後からの上告人の就労義務はいつ、どのような原因によって復活する事になるのか、又その復活の法律構成はどのように考えられるのか、全く不明であるが、不明であるのは結論的に言えば、説明の仕様がない結果に他ならない。

就労義務復活の原因として一応考えられるのは、二八日午後が所属組合の争議行為の時となったこと、労働者が自己の所属する事業場における争議行為に参加したこと、の二つである。

まず前者の争議行為の時期について考えると、第一に組合の設定した戦術は津田沼電車区、千葉運転区所属の列車乗務員のうち千葉より西(東京寄り)の行路についての指名ストライキであって、所属組合員一斉のストでもなければ、右の列車乗務員以外の乗務員や検修職場の組合員をストライキの対象としたものではなく、指名対象外組合員はいずれも平常どおりの所定の勤務についていたものである。このような場合にまでストライキと関係のない指名対象外の組合員の就労にまでその効果が及ぶ理由は一切あり得ず、従って争議行為の時季によっていったん消滅した就労義務が復活することもあり得ないことになる。だから年休指定時季に組合によって争議行為日が設定されることは、適法な時季変更権の行使に代替する解除条件とは到底なり得ないのである。このことは、組合がストライキの対象とした業務部門(運転)とは全く別個の業務部門(検修)に従事する上告人の場合にはより一層明白なことである。

後者の場合には、自己の所属する事業場における争議行為に参加することが、適法な時季変更権の行使に代替する解除条件ということになるが、これはまさに年休利用の問題そのものであり、三・二判決が否定し去った「休暇・争議行為非両立」論そのままであり、年休利用自由の原則に反するばかりでなく、時季指定の効果を消滅させる解除条件の新たな設定であり、労基法三九条の明文の規定に直ちに抵触するといわざるを得ない。

8 原判決は「その後争議行為の実施時期が確定された日になって管理者に対し年休承認の有無を確認したこと」は結論に影響がないとする。年休承認は年休の成立に関しては三・二判決のいうとおり「年次休暇の成立要件として、労働者による『休暇の請求』や、これに対する使用者の『承認』の観念を容れる余地はない」。しかし成立要件として「承認」を要しない、というのと年休管理者の年休承認は意味がないというのは全く異なる事柄である。少なくとも年休承認は時季変更権不行使の明示的な意思表示としての意味はあり、年休請求(時季指定)した労働者は年休承認によって当該労働日の就労義務の消滅が確定的になったものとして、その日の行動計画を樹立してしまうのである。

そして管理者による年休承認の有無は六一・一二・一八判決の中では非常に大きな意味を持つことが示されている。右判決では「…適法な時季変更権の行使があった場合」にこれを無視するか否かを問題とし、事実では校長による時季変更権の行使があったが労働者はこれを無視して就労しなかったところ、その時季変更権の行使が「適法でなかった」として「原審の右判断は、年次休暇権の行使と争議行為との関係につき前示したところに照らし、正当」としているのであり、ここからは違法な時季変更権の行使には従わなくてもよいことが明らかなばかりでなく、年休管理者の年休承認があった場合には、仮に労基法三九条三項但書所定の事業の正常な運営を妨げる事情(これは年休請求した労働者には知り得ない事柄である)があったとしても、その承認に従って就労しなくてもよいことが当然に導き出されるからである。

そして上告人は年休管理者の年休承認に従って就労しなかっただけのことであり、これを後からとやかく言われる理由は全くなかったのである。

9 以上のとおり、原判決は労基法三九条三項の解釈を誤り、年次有給休暇と争議行為との関係につき判示した最高裁昭和四八年三月二日及び同六一年一二月一八日判決に相反する判断をなしたものであって、破棄されなければならない。

二1 原判決は、その後習志野電車区(検修)と津田沼運転区(運転)とに分かれることになった津田沼電車区(当時)は一つの事業場であるとし、上告人の参加した争議行為は自己の所属する事業場におけるそれである、とするが、これは次のとおり労基法三九条三項但書の解釈を誤ったものであるか、又は、前記三・二判決と相反するものである。

2 前記三・二判決は「労基法三九条三項但書にいう事業の正常な運営を妨げるか否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきものである」とするが、右但書にいう「事業の正常な運営を妨げる場合」とは事業の規模、場所・建物の独立性、年休請求者の職場における配置、担当業務の内容・性質、業務の繁閑、代行者の配置の難易、労働慣行、同時季に年休を請求する者の人数等諸般の事情を考慮し、制度の趣旨に反しないよう合理的に判断すべきである、とされており、事業の正常な運営を確保するため可能な限り手立てを講ずることなく、漫然と時季変更権を行使することは許されない、とされている。

ところで、事業の正常な運営の確保の措置の中心は代替要員の確保の措置であるが、三・二判決のいう事業場とは当然に右措置を講じうる範囲で画されなければ意味がない。この場合事業場を狭く解すれば時季変更権の行使は容易となり、逆に広く解すれば時季変更権の行使は困難となる関係におかれるが、合理的な範囲は、代替要員の操配が通常の配慮で可能か否か、他のところから要員を配置して役に立つか、危険ではないか、そして従来どの範囲で代替要員の操配上の運用がなされているかによって画されるはずのものである。

ところで原判決は津田沼電車区における列車乗務員と検修職員とでは各々の業務に従事する要員としては全く代替性を有しない(上告人ら検修職員は資格上も実際上も列車は運転できない)にも拘らず、同一の事業場としてしまったものである。

3 原判決の引用する第一審判決は「津田沼電車区においては、年休請求に対する時季変更権の行使・不行使に当って事業の正常な運営の阻害の有無の判断が部門以下の単位においてなされ、要員の確保も部門以下の単位においてなされていたことは右認定のとおりである」とし、「これらは業務内容を異にする多数の部門(部・課など)を有する事業場においては当然の措置」としてしまったうえで、「時季変更権の行使にあたっては、これらの特定の部門の業務の正常な運営の阻害が、事業所全体の事業の正常な運営を阻害するか否かが判断されるべきである」としている。しかし津田沼電車区における「事業の正常な運営を妨げるか否かの判断」が、検修部門と運転部門とで各々独立して行なわれてきたのは単なる労働慣行でもないし、「多数の部門を有する事業場」の「当然の措置」でもない。それは検修部門と運転部門とでは単に業務内容を異にするだけではなく、そこに従事する職員の勤務形態・勤務時間も資格要件も全く別個のために他ならないのであって、代替要員の相互の確保は全く不可能であるからに他ならない。

原判決は、労基法三九条三項但書にいう事業の正常な運営を妨げるか否かの具体的判断は、現実問題として検修部門と運転部門とでは各別に行なうしかないにも拘らず、これを右判断の基準としての一つの事業場にまとめあげてしまうのであるが、これは結局、年次休暇権と争議行為の関係における「自己の所属する事業場」か「他の事業場」かの事業場概念を、時季変更権行使・不行使の基準としての事業場概念によって画さなければならないにも拘らず、それとは別個の三六協定等における形式的な事業場概念に置き換えてしまうものであり、三・二判決と相反するものである。例えば郵政関係における時季変更権行使をめぐる裁判実務においては、郵便局における課(郵便課・集配課等)以下の単位毎に労基法三九条三項但書にいう事業の正常な運営を妨げるか否かの判断がなされているが、時季変更権の行使については事業場を狭く、争議行為の関係ではそれを広く、というのは余りにも使用者側に好都合な法律解釈の使い分けに他ならないが、三・二判決はこのような事業場概念の使い分けを認めるものでは決してない。そして原判決の言うところを三・二判決に従って敷衍すれば、代替要員の確保については、検修職員を運転部門へ、列車乗務員を検修部門へ操配することも考えなければ、できるだけ労働者が指定した時季に休暇をとれるよう状況に応じた配慮をしたことにならなくなるが、これは使用者にとって通常の配慮では不可能なばかりでなく、そもそも不可能であり危険なことなのであるから、前記の「時季変更権の行使にあたっては、これらの特定の部門の業務の正常な運営の阻害が事業所全体の事業の正常な運営を阻害するか否か判断されるべきである」とする「事業所全体」を津田沼電車区(当時)とするのは、三・二判決のいう判断の基準としての事業場概念とは性格を全く異にすることは明らかである。

4 適用の単位についての解釈例規の実例としては、新聞社の印刷部門の取扱いについて、昭二三・三・一七基発四六一号、昭二三・六・一一基収一八九五号が「新聞社は一般に法第八条第八号の事業であるが本社等において併せて印刷をも行なう場合には、その中の印刷部門のみを主たる事業と別個に取扱い同条第一号によって法を適用すべきである」としている。また、清酒製造業については、昭二八・五・四基発三六一号が「清酒製造業における直接醸造の作業を行なう醸造部門と壜詰作業等を行なう醸造以外の部門とは、これら各部門において、作業に従事する労働者を別にしており、又その労働の態様も全く異にするのが通常であるから、原則として右両部門をそれぞれ別個の事業として法の適用を定めること」、「醸造部門はその作業工程において微生物を培養管理するものであり、杜氏その他のいわゆる蔵人の労働は気温、湿度等の自然的条件に左右されるのが常態であり、法適用に当ってその対象となる事業の実態は畜産、養蚕等の事業の場合と同様の態様と認められるから法第八条第七号該当の事業として取扱うこと。醸造以外の部門は一般に壜詰、包装等の作業を主たる業務として常時行なうものであるから、法第八条第一号の事業として取扱うこと」としている。

右はいずれも三六協定等を考えた場合の適用事業の単位について論じたものであるが、右に従っていえば津田沼電車区のうち運転部門(現・津田沼運転区)は労基法八条四号の事業として、検修部門(現・習志野電車区)は同条一号の事業として取扱うのが合理的である、ということになるが、時季変更権の行使・不行使の判断の単位としては、このように取扱わなければならないものである。

5 以上のとおり、原判決が津田沼電車区(当時)は一つの事業場であり、上告人の参加した争議行為が自己の事業場において行なわれたものである、とする判断は、三・二判決の判示に即して考えれば労基法三九条三項但書の解釈を誤ったものであり、労基法三九条三項但書に即して考えれば、三・二判決と相反して労基法三九条三項但書とは別個の事業場概念を持ち込んだものであり、いずれにしても判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄されなければならない。

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